12月16日、父が永眠しました。
1年半以上入院していて、
最終的には老衰で息を引き取りました。
心の準備もさせてもらって、
来年に持ち越さず、
自らの誕生日も過ぎて、
本当に家族にとって
ベストのタイミングを
選んでくれたと思います。
あまり意思疎通が
できなくなってきた頃、
私が冗談で
「暑い夏の盛りはやめてね、
夏は乗り越えてね!」って
話しかけたんです。
ひどい娘だなあ。
でも、その勝手な願いも
叶えてくれました。
べたべたと仲のいい親子では
なかったですが、
特にけんかをしたこともなく、
期待したように
育たなかったであろう娘に
文句も言わず、
実家から帰る時は
「また来いよ」と
声をかけてくれました。
釣りとお酒くらいしか
楽しみがなかったようですが、
家族のために
黙々と働いてくれて、
本当に感謝しかないです。
…「しかない」って、
こういう時に使う言葉だよなー。
亡くなった後の数日間の怒涛の日々。
悲しむ暇もないくらい
お通夜、お葬式、火葬、
精進落としと目もくらむ忙しさで、
ぽっかり待ち時間があっても、
気持ちが落ち着かず、
大変でしたが、
家族で精いっぱい
見送ることができたとは思います。
亡くなった後、
私は一足遅かったですが、
かえってそのおかげで、
しばらくの間、
父と二人で病室で過ごせました。
号泣しまくりましたが、
その時間があったのも感謝でした。
孫を抱かせてやれなかった
後悔の念と、
やれる限りの見送りはできた
という満足感が
交互に訪れます。
でも、
なんだか以前より、
父を近くに感じられる気もして、
思ったより
心が乱れてはいないようです。
乱れたっていいと思っているからかも。
そんな12月でした。
ちなみに、
お通夜とお葬式では、
父の好きな曲を可能であれば
エレクトーンで演奏しますと言われ、
母がお願いしたのは、
シルクロードのテーマでした。
よく思い出したなあ。
メロディーを聞いて、
そうだ、父はこの番組が好きで、
よく見ていたなあ、
と思い出しました。
「野生の王国」とか
「兼高かおる世界の旅」とか
ドキュメンタリーが好きな人でした。
最近だと、
「ダーウィンが来た」を
よく観ていたようです。
私も時々観ることがあります。
今後、そんな時も
父を思い出すことでしょう。
戦争のドキュメンタリーも
よく観てましたね。
終戦時は小さな子供だったはずですが、
入院して、
まだ声が出ていた頃、
朦朧としながら、
「戦争はいかん。
全部めちゃくちゃになる」と
言っていました。
どんな夢を観ていたのか。
戦争はいかんのです。
また、
入院当初は、
お見舞いに来た母と私に
帰り際、
「気をつけろよ」
と言ってくれていました。
看護師と話している母に
「大丈夫か?」とも言ってました。
母と私は
「お前がな!」と内心、
突っ込みたくなった瞬間でしたが、
ありがたいことです。
自分がそんな状態でも
家族を心配してるってところがね。
…話は尽きない。
最後に、
最近はお棺に入る時、
白装束ではなく、
生前好んだ服を着させてくれるようです。
葬儀社によって違うのかもしれませんが。
自分の終活の中に、
火葬される時の「装い」を
準備することも考えておくとよい。
そんなことも学んだ体験でした。
九州で降る雪のように、
うっすらと悲しみが降り積もる感覚…。
でも、
いつか必ず来るその瞬間を
ある程度しっかりと
受け止められたのではないか。
心揺れながら、
過ごしている年の暮れです。