ホはホログラムのホ PartII

来年の私より今の私の方が若い

(虚無の沼では)美しか勝たん

父が昨夏からずっと入院していて、
恐らく人生の終わりに近づきつつある。

最初は回復して
家に戻るものだと思っていた。

しばらくして、

受け入れがたいものの、
それはもう無理なのだろうと
思い始めた。

それでも、

入院していても
会話ができて、

感謝の気持ちなどを伝える
機会があればと
一縷の望みを持っていたが、

どうも
それも無理そうだと
最近は諦めはじめている。


いつ呼び出しがあるのか
考えると怖くなったりして、

最近は死というものが
つねにそばにいる。


ふと

生活のあいまあいまに

虚無に襲われることがあって、
歩む足が止まるのであった。


何をしたって
死が必ず訪れるのであれば、
それは何の意味があるだろう。


そんな感じ。


もちろん、
死という絶対的な真実があるからこそ、
それまでの命を燃やすのが
人間の宿命である、

というのも正しい。

そう思わなければ
人はどうやって日々を生きていけるだろう。


でもやはりふと、
虚しさに追いつかれてしまう
瞬間があるのです。



そんな時、

何が自分を
生に引き戻すのか。


美しか勝たん。


もう古いんですか、
この言い回し?


そう、

美しいものしか、
虚無の沼から
自分を引き上げるものはない。

不思議なことに、

この世界には、

美しいと感じたり、
愛でる気持ちを沸き上がらせるものが
確かにあるのです。

何を美しいと感じるかは、
人によって違うだろうし、

そもそも、
それが「音楽」であったり
「体を動かすこと」であったり
「誰かを応援すること」であったり
「言葉」や「何かを作ること」
であったりするのかもしれないけど、

私は私が認める美しさの感覚に
真剣に集中するしかないのである。

それ以外のことを
考えないで済む時間を
もたらしてくれるもの

そこに集中するしか
ないと思う。

それだけが、
意味がないかもしれない命に、
自分をつなぎとめてくれる
気がしておるのです。


そんな今日この頃。


心の動きの備忘録です。